ロックバンドTHEATRE BROOKのボーカル、ギタリストであり、すべてソーラー電気だけで開催する野外ロックフェス「中津川THE SOLAR BUDOKAN」の主宰、佐藤タイジさんとの対談です。
第4回目は「混ぜる」。
〈前回までは〉
①「だから『オレ、ポールが弾いているベースをやる!』って言ったんだけど――」
②「あれもこれも好きだから、あれにもこれにもなってみたいけど、こっちも好きだから、こっちにもなってみたい……みたいな。」
③「オレは上手に弾きたいわけじゃなくて、『ギターを弾きたいんだ!』っていう感じなんですよ、うまく言えないけど。」
「混ぜ混ぜするものが好きなのか? 食べ物も冷奴とご飯を混ぜるのが大好きだし。」
平野:ここまで話を聞いてきて、ギターが好きだっていうのはよくわかった。でも好きというだけでプロになれるわけじゃないし、ましてタイジさんのように弾けるわけじゃない。
佐藤:たしかに。
平野:タイジさんの底流になにがあるのか。ぼくはその〝秘伝のタレ〟を知りたいんですよ。
佐藤:秘伝のタレ(笑)?
平野:あの匂いはいったいどこから来るんだろう?
佐藤:うーん……
平野:ギターを弾いているときに考えていること、あるいは気をつけていることって、なにかあります?
佐藤:弾いているときはなにも考えていないけど、心がけるようにしているのは、「歌うようにギターを弾き、ギターを弾くように歌う」っていうことです。
平野:おお! シビれる〜!(笑)
佐藤:(笑) いや、素晴らしいプレイヤーって、みんなそうしていると思うんですよ、とくにギターボーカルは。言葉にできない感情がギターから伝わってくるっていうか――
平野:そういえば、ジャズミュージシャンから聞いたんだけど、すぐれたアドリブって、例外なく演奏者が〝心から唄っている〟ものらしいんですよ。逆にいえば〝よく唄っている〟演奏にリスナーは共感する。どれほどテクニック的に難しいことやっていようが、唄っていないのはダメなんだって。
佐藤:それ、メッチャわかります。ほんとにそのとおりだと思う。
平野:歌はどうですか? タイジさんのあの個性的な声は神様から与えられたものだろうけど、自分のもち味や風あいについてはどう考えてます?
佐藤:オレは歌いはじめたのが遅かったんです。THEATRE BROOKにはもともとボーカリストがいたので。中学の同級生で、いまはカメラマンをしているんですけどね。
平野:そうなんだ。じゃあ、なぜ歌おうと思ったんです?
佐藤:歌いはじめたきっかけはレニー・クラヴィッツです。90年代初頭はレッド・ホット・チリ・ペッパーズやフィッシュボーンなんかが出てきて、ミクスチャーロックの走りのころだったんですけど、ぼくはレコード屋でバイトをしてたんですね。
平野:はい。
佐藤:そこにレニー・クラヴィッツが出てきた。ブラックっぽいのと、ロックっぽいところに、ビートルズっぽいものが入ってきた、っていうふうに感じて、「あ、これ、理想的じゃないか!」と。
平野:なるほどね。
佐藤:「オレがつくりたかったのはコレだ!」っていうくらいの衝撃でした。そのときに、他人に自分の詞やメロディーを歌わせているようじゃ、レニー・クラヴィッツには敵わないじゃないか、と思ったんです。ボーカリストはそれまでずっと一緒にやってきた親友だったんだけど、「オレに歌わせてくれ」と頭を下げて。
平野:歌はだれかに習った?
佐藤:いえ、自己流です。
平野:あの独特のテイスト、あのセンスは自然のうちに?
佐藤:そうですね。
平野:そのころぼくはジャズやラテンにハマっていたからあまり実感がないけど、90年代のミクスチャーの影響って、想像以上に大きかったんだな。
佐藤:90年代にヒップホップが盛り上がったでしょう? 印象的だったのが、マイルス・デイヴィスの最後のアルバム『Doo-Bop』がヒップホップだったということ。作品としての評価は高くないのかもしれないけど、オレはなんてカッコイイんだって思ったんですよ。
平野:ああ、わかる。
佐藤:それで最近気づいたんです。なぜオレはミクスチャーとか、混ぜ混ぜするものが好きなのか? 食べ物も冷奴とご飯を混ぜるのが大好きだし。
平野:(笑) でもね、なにかを混ぜているっていう感じはしませんよ。たしかにTHEATRE BROOKは曲想や世界観が多彩だというイメージが強いけれど、それは多様な要素を混ぜあわせてできあがったというより、いろんな音楽要素を体内に吸収消化したうえで、そこから生まれる化学反応をそのまま吐き出しているっていうふうに見える。
佐藤:なんか嬉しいな。
平野:さっき言ったように、ぼくは1970年にロックミュージックに出会い、その後ジャズに行ったので、いわゆる邦楽はまったくと言っていいほど通ってないんですね。
佐藤:はい。
平野:もちろん例外もあって、たとえば山下達郎さんには、女の子とドライブのときなんかにずいぶんお世話になりました。
佐藤:はいはい(笑)。
平野:とりわけ日本のロックバンドには興味がなかった。欧米とは比較にならないくらい演奏や録音の技術レベルが低かったからです。とにかくサウンドがチープで、本場を知ってしまった耳には耐えられないものだった。わずかに気になったのは、「フライドエッグ」や「村八分」ぐらいで。
佐藤:わかります。
平野:ところが最近では、日本のバンドのサウンドは、海外と遜色のないレベルになっている。THEATRE BROOKももちろんそうだし、若い子たちのバンドもみんなレベルが高い。
佐藤:そうですね。
平野:当時は絶望的なギャップがあったのに、いつの間にか追いついていたわけで、それが不思議なんですよ。 なぜ日本人ミュージシャンの表現力が格段に上がったのか? なぜ西洋のグルーヴを獲得できたのか? なにがきっかけだったのか……?
佐藤:なるほど。
平野:ひとつ言えるとすれば、おそらくタイジさんの世代がなんらかの橋渡し役を果たしたにちがいない、ってことです。
佐藤:そこを考えるときに90年代ってとても重要な時代だったと思うんです。
平野:というと?
佐藤:現存する音楽のジャンルはほとんど90年代に確立するんですよね。90年代にレコード屋でバイトしていたからわかるんですけど、いまレコード屋に行っても、あのころの分類法のままです。
平野:なるほどね。
佐藤:90年代の日本、とくに東京はクラブカルチャーが定着したのが大きかった。それまでは日本の音楽と洋楽の間に漠然とした垣根があったけど、クラブDJがその垣根を破壊したからです。彼らの功績と言っていい。
平野:90年代になると、さまざまなジャンルのカッコいい音楽をDJがセレクトして聴かせてくれるようになった。つまりは流通する情報量が増え、しかもアクセスしやすい状況になった。その環境変化が大きかったと。
佐藤:そう思います。
平野:たしかにそうかもしれないけど、
ぼくの疑問はもっと根本的なところにあって、70年代前半の日本人バンドのサウンドはどこか歌謡曲の匂いがしていたのに、いまではまったくその感じがない。日本人の身体特性に変化があったわけではないのに、なぜ欧米と遜色のないグルーヴを生み出せるようになったんだろう?
佐藤:たしかに変わりましたね。
平野:ミュージシャンたちのなかに種々の音楽的素養が培われたにしても、70年代と現在ではあまりにちがう。技術の向上だけではないような気がするんですよ。
佐藤:そうですね……。もしかしたら自信かもしれない。オレたち日本人も海外のアーティストと変わらない。おなじように表現できるんだ! っていう自信をもてたんじゃないかな。
平野:そうか、自信か……。そうかもしれないな。
—
次回は「らしさ」。

佐藤タイジ
徳島県出身。ギターボーカル日本代表。
太陽光発電システムによるロックフェス
「THE SOLAR BUDOKAN(since 2012)」の主宰者。
日本の音楽界と再生エネルギー界を牽引する稀有なモジャモジャ頭。
「ロックスター」「ファンキー最高責任者」は彼の代名詞。
’86、シアターブルック結成。
’91、RedHotChili Peppersのフロントアクト。
’95、EPICからデビュー。「ありったけの愛」がJ-WAVE.FM802など主要FM局でヘビーローテーション。
ちなみに太陽の愛を歌ったこの曲を歌い続けたことが
「THE SOLAR BUDOKAN」のアイデアの源泉。
この他、クラブ系ユニット「The SunPaulo」ではエレクトロ。
加山雄三率いる「The KingAllStars」では主要メンバー。
そして高円寺阿波おどりとのコラボ「佐藤タイジ&華純連」は日本の音楽史の転換点となる壮大なプロジェクト。楽曲「踊らなソンソン」はiTunes.Spotifyなどで絶賛配信中。
佐藤タイジは間違いなく日本代表ロックスターなのだ!
■佐藤タイジ HP
http://www.taijinho.com/
■シアターブルック HP
http://www.theatrebrook.com/
■THE SOLAR BUDOKAN HP
http://solarbudokan.com/
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佐藤タイジ

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