Digs

岡本太郎コラム⑦ 思うこと「勝負の世界の道徳観」

オリンピックの試合に負けて、全員クリクリのを丸坊主になったレスリングチームが帰ってきた。

ニュースを聞いたときは、あきれるよりもまず、ふきだしてしまった。なかなかユーモラスな、人を小馬鹿にした連中だと思ったが、彼ら自身は案外真面目に責任を感じたらしい。

奇妙に思うのは、ここに通用している道徳観である。この勝負の世界をとりまいて、一般や批評家たちが、きまって勝った方に道徳的価値づけをする。勝てばひどく素朴に、その人の人格まで立派なようにアオリたて、負けはじめると、逆に精神的堕落のようにコッピドクやっつける。まったく馬鹿馬鹿しいかぎりだ。

勝てば官軍――なんて古くさい言葉だが、まさにそれである。だから頭をまるめておわびしなきゃならないなんて、スットンキョウな事態にたちいたるのだ。

秋場所は若、柏戸、大鵬の三つドモエで、かなり熱をあげて終わり、今度は巨人、大洋の優勝争いで、世の中は夢中の態だが、たちのぼるカン声を外から聞いていると、しかし明るいよろこびよりも、一種のヒステリックな暗さのようなものを感じて仕方がない。

戦争前夜を通じて、勝ち負けでさんざんいためつけられた国民は、みんなひどくいじけてしまって、自分の力で勝負するというハリを失っている。ただ消極的に、ささやかながら自分の生活だけを守ろうとする。それぞれの小さい穴の中で、現状維持のモラルにうずくまる。そんなのが他人の勝負に目の色をかえる。強者に熱狂し、弱者をののしり、無責任なヤジ馬の興奮にわずかないきがいを感じて、そこに何か自分が道徳的役割を果たしたかのように錯覚する。滑稽だ。

自分の人生の勝負にかけ、己の責任で堂々と生きる。そういう人間だけがスポーツおおらかに楽しむことができるのである。