Repos

Taro Okamoto in Paris ⑤

パリで岡本太郎は⑤

<巨匠ピカソの美術館>

岡本太郎が敬愛し、挑み続けたパブロ・ピカソ。
おそらく20世紀で⼀番有名な芸術家でしょう。
そのピカソ美術館は、ギャラリーやおしゃれなお店が密集するマレ地区にあります。

ここに所蔵されている多くのコレクションは、ピカソとピカソの妻が亡くなった時に相続税として納めたものです。
ピカソレベルになると相続税で美術館ができるのか!

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この時期は、ピカソとアレクサンダー・カルダーというアメリカの彫刻家の展⽰をやっていました。

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中庭のオブジェ。
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事前にチケットを買っていなかったので⼼配でしたが、この⽇は空いていました。

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5つのフロアから成るなかなか広い美術館です。
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授業の⼀環として来ている学⽣っぽい⼈たちの姿も。

どこを⾒てもピカソの絵やスケッチばかり。
しかも⾒たことのない作品ばかりでした。

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これが有名なブルのデッサン
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ミノタウロスが登場するエッチング。
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「⻘春ピカソ」でも解説している”La Minotauromachie”
本当に多くの作品の中に闘⽜やミノタウロスを描いていたようです。
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有名な作品から、プラーベートなコレクション、スケッチまでその数なんと5000点。
周っている途中からはもう、⼀体全部合わせたらいくらになるんだろう・・・とか下世話なことを考えてしまいました。
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ピカソの⾃画像
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どれもピカソ美術館でしか⾒られない作品ばかりなのです。

岡本太郎も、Paul Rosenberg の画廊以外での様々な画廊でピカソの作品に触れ、変わりゆくピカソの画⾵について語り合っていたようですが、彼が当時⾒て影響を受けた作品もこの中にきっとあるのでしょう。

ピカソ美術館で思わぬ出会いができたポール・セザンヌの作品。

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岡本太郎は、ピカソの⿊の時代にはセザンヌ的な知性主義的画⾯構成が重要な役割を果たしていると解説しています。

誰がどう影響していたかは本⼈にしかわかりませんが、同じ時代を共に過ごした芸術家であることは間違いなく、ピカソが所有していたセザンヌの絵が寄付されたんですね。

<アプストラクシオン・クレラシオンの⾜跡アプストラクシオン・クレラシオンの⾜跡>

ピカソの絵を⾒て、創作意欲を掻き⽴てられた岡本太郎は抽象画を描き始め、やがてアプストラクシオン・クレラシオンという団体に参加します。
22歳の岡本太郎は、最年少メンバーとして団体の活動に参加し、お⾦を出し合って画廊を借り、2週間の交代制で常設の展⽰会をしていたと記しています。
その画廊があったのがここワグラム通り。
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エトワール凱旋⾨から、北に伸びるこのワグラム通りには、携帯ショップや、薬局、レストランなど実⽤的なお店が多くあったのが印象的です。
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道幅も広く、ホテル近くのカルチェ・ラタンやマレ地区とはまた違った雰囲気でした。

画廊があった痕跡は特に⾒つけられませんでしたが、岡本太郎がモンパルナスから通っていたはず!!

こうみると、⼀⾒歴史のあるパリの街並みも、その多くが姿を消していることがわかりますね。
当たり前のことですが、ヨーロッパと聞くと⾃然と古い建築がそのまま残っていると印象が先⾏しがちですが、
探してみると案外難しいものです。

<Musée de l’HommeMusée de l’Homme>

エトワール凱旋⾨から地下鉄6番に乗り、エッフェル塔を⾒渡せるシャイヨー宮に⾏ってみました。

シャイヨー宮は1937年にパリ万国博覧会が開催された場所です。
ピカソの“ゲルニカ”はスペイン館に展⽰され、岡本太郎も当時この場所でゲルニカと初対⾯し圧倒されました。

エッフェル塔を真正⾯から⾒ることができ、たくさんの観光客で賑わっていました!
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そして、そのすぐ側にあるのが、⼈類博物館です。
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Musée de l’Homme

岡本太郎は1937年に博覧会と同時に開館したミュゼ・ド・ロムで⺠族学に出会い衝撃を受けます。
当時のミュゼ・ド・ロムは展⽰をする⼀⽅で、研究者たちのラボとしても活⽤されていました。
⺠族学科に籍を移した岡本太郎は、フランスの⼈類学者のマルセル・モースの弟⼦として、ここミュゼ・ド・ロムで⾏われた授業に出席していました。
あまりに没頭しすぎで、⼀時は絵を描くのをやめていました!

時間の都合で中には⼊れませんでしたが、中では⼈類の進化や⽂化にまつわる研究が⾒られるようです。
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(Flicker.com)
ミュゼ・ド・ロムの前⾝であるトロカデロ⺠俗誌博物館の写真がウェブサイトに載っていました。
このホーンテッドな感じ、展⽰があると⾔われても近づきがたい…
http://www.museedelhomme.fr/en/museum/musee-dethnographie-musee-lhomme-3920

そして、ちょうどこの頃、岡本太郎はジョルジュ・バタイユと親交を深めていました。
コントル・アタックでの活動と並⾏して⺠族学を学んでいたということになります。
岡本太郎とバタイユの親交関係にはいくつか⽂献も出ていますが、細く⻑くというよりは、⼤きな衝撃を与え、またそれぞれの道に進んでいける、不思議な親交関係だったことが伺えます。
まさに対⽴して挑み続ける、岡本太郎の⽣き様が垣間⾒れる対⼈関係だったのかなと想像できます。

そんなバタイユと初対⾯を果たしたカフェリュック(café Ruc)は今も健在です。
カフェばかり巡ってもなぁ…と今回は直接⾒にはいきませんでしたが、観光名所であるサン・トレノ通りの⼊り⼝に位置しています。

「パリで岡本太郎は⑥」につづきます。








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