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五十嵐太郎対談④「建築のはじまり」

第11回ベネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示コミッショナー、あいちトリエンナーレ2013芸術監督をつとめた建築史家・建築批評家の五十嵐太郎さんとの対談です。
第4回目は「未来の建築」。

〈前回までは〉
①「外からの大きなインパクトを受けて変わっていくことを何度も繰り返してきたわけですね。」
②「多少の技術差はあったけれども、様式建築に比べれば背中が見えるくらいの距離だった。」
③「建築とは固くて、動かなくて、変化しないもの、という常識を反転させるビジョンです。」

「この10年でニューヨークはどんどん新しい名所をつくっていて………。おなじ10年で東京はなにをやっているんだろうって思いますね。」

平野:メタボリズムもそうだけど、当時の建築家は「未来」が最大のテーマだと考えていたわけですよね。未来の人間生活のありようを提案するのが建築家の仕事だと考えていたし、じっさい皆が競うように「未来の建築」を提案していた。

五十嵐:そうですね。

平野:大阪万博のころの建築家の発言を見ると、出てくるのは「国家」「世界」「人間」といったスケールの大きい概念的なワードです。ところが、いまそんなワードを振り回す建築家はほとんどいなくて、出てくるのは「素材の質感」や「柔らかく差し込む光」みたいな話ばかりになっちゃった。

五十嵐:そうですね(笑)。

平野:今日の本題からは外れるかもしれないけど、なんでそうなっちゃったんだろう? 万博当時は社会の仕組みや構造に建築家の興味があったし、建築をとおしてそれを変えるんだ、という意志があった。建築を学ぶ学生たちも、そういうスケールで発言し仕事をしている建築家に憧れた。でもいまや、学生たちがリスペクトしているのは、狭い住宅に収納をたくさんつくれる「匠」らしい。「なんということでしょう。こんなところにも収納が――!」っていうアレです(笑)。

五十嵐:(笑)

平野:建築家たちのモチベーションはどこに行っちゃったんだろう?

五十嵐:万博前、60年代のオリンピック直前の東京って、リアルに大改造していたから、目の前で物理的に東京が変わっていったわけで、都市が変わることが信じられたんだと思うんです。

平野:新幹線が走り出し、首都高ができてクルマが空を走るようになった。ぼくは新幹線の試運転に乗せてもらったんだけど、そのときの感激はいまでもはっきり覚えてます。未来ってすごい!と、未来に憧れていたし、未来という言葉を聞くとワクワクしましたからね。

五十嵐:都市の姿が目の前でどんどん変わっていったわけで、じっさいそれを目にしたら、これからももっともっと変えられると信じられたんじゃないかな。当時の気分を想像するとそんな気がしますね。

平野:ああ、そうか。なるほど。そういう意味でいえば、近年は都市の姿がドラスティックに変わるっていうことがないものね。ネット社会になったとか、携帯電話が普及したみたいに、形のないレイヤーで変化しているだけで。

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五十嵐:あともうひとつ大きいのが、60年代までは、建築家がいろいろな可能性を手にしていたっていうことです。たとえば都市計画にも参加できるかもしれないとか、モダニズムの文脈で工業化住宅にも参入できるかもしれない、みたいに、多くのフィールドに活躍の可能性がひらけていた。あの時代はまだハウスメーカーもちゃんと出てきていなかったですからね。

平野:そうね。

五十嵐:ところが70年代になると、大きな再開発や高層ビルなどのプロジェクトはディベロッパーやゼネコンが主役になり、ハウスメーカーが本格的に始動した結果、ショートケーキ住宅の方が売れるから、建築家はいらないみたいな話になって、外されてしまうんです。

平野:そうか。60年代はまだ外される前だから、建築家も「“未来都市”はオレたちのフィールドだ」と信じられたけれど、じっさいそれが動き出してみたら、けっきょくはディベロッパー、ゼネコン、ハウスメーカーみたいなところにお株を奪われて……

五十嵐: 磯崎さんはそれを「都市からの撤退」と言いましたけど、70年代に可能性が1回しぼんでしまったわけですね。もちろん景気が悪くなったっていうのもありますけど。

平野:建築デザインだけで言うと、バブルくらいのころまでは東京は世界的に、他のところにはないエキサイティングな状態が起きていましたよね。

五十嵐:そうですね。不景気を過ぎた後の、バブル期の東京って、じつはすごく先端的で、いま世界で起きているのは、あの拡大反復だともいえる。世界中からスター建築家を集めてアイコン建築をつくるなど。ただ、バブルが崩壊したあと、すべて悪いみたいになっちゃって……ポストモダンなどすべてがね。阪神・淡路大震災が起きたり、災害があったりもして、とにかく目立つことをやるのはモラル的にもダメだみたいな空気が醸成されて。その気分がいまにつづいている感じがしまね。

平野:なるほど。すごくよくわかる。
若い子たちと話していてよく感じるのは、〝スプーン1杯の幸せ〟的な、小さいことにしか興味がない。

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五十嵐:1月にニューヨークに行ったんですけど、新たに再開発されたハドソンヤードの名物になっている「ヴェッセル(vessel)」ってあるでしょう? アレってバカみたいなものじゃないですか。だって昇って降りるだけなんだから。

平野:そうね(笑)。

五十嵐:昇って降りるだけの、機能をもたない建築。あの高さだと、展望台としても微妙です。でも実際は人がたくさん来ていました。今の日本であれはつくれないですね。

平野:911の跡地の「ワールドトレードセンター」の駅舎「オキュラス(Oculus)」もそんな感じありますよね。

五十嵐:この10年でニューヨークはどんどん新しい名所をつくっていて………。おなじ10年で東京はなにをやっているんだろうって思いますね。
再開発が進む渋谷もそんなにワクワクする感じじゃないし。むしろ上海のほうがすごいなって感じがしちゃう。

平野:でも不思議だなあ。〝スプーン1杯の幸せ〟を指向する学生たちを教えているのは、「未来の建築」を提案していた世代でしょ?

五十嵐:学生は学生で社会の雰囲気を読んでいると思いますね。なにしろ目立つことをやって叩かれて、酷い目に遭っている人をいろいろ見てきているから。衝撃だったのが、5年くらい前の仙台所在の大学の卒業設計日本一でファイナリストに入った作品。なんと「おばあちゃんの家のリノベーション」なんですよ。

平野:うわぁ、そこまで!(笑)

五十嵐:それはそれでちゃんと実測をして細かい設計がなされて、悪くはないんだけど、卒業設計ってもうちょっとでかいテーマで挑むのがぼくら世代の感覚でしょ? いや、もうびっくりして。

平野:そりゃそうだ。

五十嵐:そういう意味でも、ザハ・ハディドの新国立競技場をキャンセルしたのは、あとから禍根を残すくらい効いてくるような気がするんですよ。



次回は「複製できない空間体験」。

⑤「建築とライブは似たようなものなので、そこに建築の力があるはずなんです。」

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五十嵐太郎

建築史・建築批評家/東北大大学院教授
東京大学工学部建築学科卒業、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。
ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2008日本館のコミッショナー、あいちトリエンナーレ2013芸術時監督のほか、「インポッシブル・アーキテクチャー」展、「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」、「戦後日本住宅伝説」展、「3.11以後の建築」展などの監修をつとめる。
著作に『現代日本建築家列伝』、『モダニズム崩壊後の建築』、『日本建築入門』、『現代建築に関する16章』、『被災地を歩きながら考えたこと』など。