ヒップホップ界をリードするラッパー ダースレイダーさんの対談、
第4回目は「日本語ラップの葛藤」についてお聞きします。
〈前回までは〉
①「シェイクスピアが元祖ラッパーだ」なんていう人もいるくらいで。
②ある意味「ぶっ壊しちまえ!」みたいなね(笑)。
③留守電に自分のラップを吹き込んで、練習したりね。

向こうのヤツらが納得するような表現をどうやってつくるのか?
ダース:80年代にスタートしたときには、
みんな見よう見まねで、格好から何から全部真似してやってたんですけど、
30年40年と経って、やっぱりそれだけやっていたら
本場とはちがった独自のものになってくるんですよね。
平野:「日本のラップ」ですね。
ダース:はい。10年前は日本だけのものをつくるんだっていう人たちもいれば…。
平野:とうぜんそうだろうね。
ダース:どれだけアメリカの英語に聞こえるように
日本語を発音するかっていうのを追求する人たちもいたり。
平野:いやおうなく多様化していったってことですね。
ダース:日本だけじゃなくて、アフリカ行こうが、ルーマニア行こうが、
それぞれの国でそれぞれの同じような葛藤を抱えながらもやってますね。
平野:みんな英語とは根本的に違う言語ですからね。
ダース:たとえばフランス語ってすごく子音が多くて、
ラップがとても細かく聞こえるんですね。破裂音も多くて。
だからフランス語でラップをするとどうしても英語のスムーズさにはならない。
平野:わかる。
ダース:フランスの若者たちも
「どうやったってああいう聞こえ方にならないじゃないか!
やっぱり英語でやるべきなのか!」っていう段階を経て、
「いや! 自分たちのことを歌うなら、
自分たちの言葉でやらなければダメだ!」ってなって。
平野:伝わらなければ意味がないと。
ダース:日本でも英語でやる人たちはいました。
やっぱりそれが一番正解に近づけるっていう意味で。
平野:うん。
ダース:でも聴いている人たちは全員で日本人なので、
歌詞の意味が伝わらないんですね。
平野:大きな葛藤ですね。
ダース:ビジネスとして考えると、
日本にはたまたま一億人の人間がいたために、
国内市場だけで音楽ビジネスが成り立ってきた。
日本でヒットが出れば、とりあえず生活はできるし、
いろいろと楽しい思いもできる。
でも韓国とかタイでは、自分たちの国内市場だけだと
たいしたビジネスにはならない。
だから最初から世界市場を考えざるを得ないんです。
平野:英語のパフォーマンスに向かわけですね。
ダース:しかも韓国人は英語の義務教育も含めて、
みんな英語がしゃべれる。
そうすると簡単にアメリカのアーティストと一緒に曲が出来ちゃうんです。
日本人は日本でしかやらないし、日本人も日本語でやるものを好むから、
そこで閉じちゃっている。そういう考え方もあります。
平野:ラップに限らず、あらゆるエンターテインメントに共通する問題ですね。
ダース:次の段階として、グローバルなコミュニケーションにむけて
英語にチャレンジするのもいいんじゃないかっていう議論になっています。
平野:ということは、いま日本でラップをやっている人たちは、
日本に縛られるとか囚われてるとかそういうことはなくて、
最初から自由にやっているってことですか?
コンプレックスがないっていうことはそういうことですよね?
ダース:ぼくそうですけど。
じつをいうと、いま高校生とかでラップをしている子がたくさんいますけど、
彼らはアメリカを知らないんですよ。
はじめから日本語でやるものだと思っているんです。
平野:え?
ダース:日本に縛られてないっていうより、
日本語でやるのがあたりまえだって単純に思っているんですね。
平野:ああ、なるほど。
ダース:対アメリカっていう葛藤を抱えている人たちって、
90年代にヒップホップを聴きはじめた世代です。
ぼくはいま38歳なんですけど、
やっぱり対ニューヨークとか、対アメリカっていうのはあります。
平野:そうでしょう。
ダース:でもいまは「日本語でやるもんでしょ、これ」
っていう感覚になっちゃって。
そこにはたぶんいい面と悪い面があって。
平野:というと?
ダース:摩擦とか葛藤があったほうが
いい表現が生まれるっていう考え方もあるし、
でも一方では、あたりまえに、自然体にやった方が
いい表現になるっていう考え方もありますから。
平野:おもしろいな。ぼくなんかはね、
外国で仕事をするとき、頭の中にはいつも日の丸があがってます。
ダース:(笑)
平野:気分は完全にサムライブルーに身を包んだ「日本代表」です。
舐められてたまるか!ってね。
ダース:へえ。
平野:で、日本とは何か、日本人とは何か、みたいなことを考えちゃうわけです。
ダース:なるほど。
平野:日本におけるプロダクトデザインの草分けである
著名なデザイナーの方と話をしたことがあるんですけどね。
彼らの出発点は、戦争に負けて、
いよいよ復興していくっていうときだったから、
とうぜん、どうすれば欧米に追いつき追い越せるかを考えたわけですね。
ダース:はい。
平野:頭の中には常にベンチマークとして欧米があって、
負けてたまるか!って。
そのためには日本の、日本人の強みを生かして
世界に出て行くんだ! 戦うんだ!と。
ダース:そうでしょうね。
平野:でもぼくの下の世代のデザイナーたちは、
まったくそういう意識がないんですよ。
デザインを学びはじめたときから、
触れるものがみなグローバル化された世界のスタンダードだったからです。
そういう状況でデザインを学んで来たので、日の丸なんかあがりませんって言うんです。
ダース:よくわかります。
平野:この問題って、あらゆる分野、業界にあるはずだし、
それぞれの世界で日の丸のあがり方とか、
どの世代まで日の丸があがるのかもきっと違でしょう。
だからいま話を聞いていて、すごく面白いんですよ。
ダース:いまだと逆に、ナショナリズムというか、
ネトウヨ的な意味での日の丸のあげ方をする人たちもいるだろうし。
平野:うん。
ダース:葛藤もないのに、いきなりあげちゃう人もいるかもしれないしね。
ただ…
平野:?
ダース:ラッパーとかヒップホップに関していうと、
対ニューヨークを意識して、そこに何を見せるのかとか、
向こうのヤツらが納得するような表現をどうやってつくるのか?
っていう問題がとうぜんあるわけですけど。
平野:はい。
ダース:アメリカ人って鈍感ですからね。
アメリカ人と話すと、あの人たちにしてみれば
世界中が英語をしゃべれるものだと思ってますからね。
平野:(爆笑)
ダース:そういったところでスタートしちゃうから、すごく徒労感がある。
基本的には「え?日本ってどこにあるの?」みたいな人たちが多いから。
平野:そうですね。
ダース:対アメリカっていうよりは、自分の身の回りだったり、
日本には日本で、それこそいろいろな問題もある。
日本にはもっと話さなければいけないことがある。
平野:はい。
ダース:だから日本語でラップをして、それを日本人の人たちが聴く。
その関係をやっていけばやっていくほど、深まっていくと同時に。
やはり日本語でやっている以上、日本人以外には届かない。
だからイチローが生まれにくいわけですね。
平野:うん。
ダース:日本語ラップって、洗練させれば洗練させるほど、
向こうに対してはまったく伝わらないものになっていく。
平野:宿命みたいなものかな。
ダース:言葉である以上、言っていることがわからないと
退屈してきちゃうってのはどうしてもあるから。
そこはどうすべきか? っていうことを考えている人は考えています。
平野:なるほど。
ダース:日本語の英語教育ってまた特殊だから、
単語や文法を知っていてもしゃべれない。
もう少し日常会話ができるような英語教育を受けていたなら、
英語でのラップ表現もできたのにと思ったりもします。
平野:そうでしょうね。
ダース:なので、日本語ラップの表現を洗練化させることで、
ますます鎖国化していくという宿命をもっているんです。
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次回は「日本人ラッパーの目指すもの」についてお聞きします。
お楽しみに!
日本人のヒップホップ・ミュージシャン/トラックメイカー。
1977年フランス、パリ生れ。
少年期はロンドンで過ごす。東京大学文学部中退。
音楽に傾倒しつつも何も出来ずにいたところをラップと出会い、
独自のFUNK/SOULミュージックとしての、
HIPHOPを追求することになる。
Da.Me.Records主催。
“ファンク入道”や“RAYMOND GREEN”名義でも活動。
98年、MICADELICのメンバーとして活動開始。
2004年の『THE GARAGEFUNK THEORY』を皮切りに、
コンスタントに作品を発表。
『月刊ラップ』編集長を務め、著書も発刊。
音楽愛にあふれたMCにも定評があり、
TV番組ほかさまざまなメディアでマルチに活躍。
2014年に漢a.k.a.GAMIが率いる鎖GROUPに加入、
レーベルBLACKSWANの代表に就任した。




