-久松さんが絵をお描きになられたのはいつくらいからなんですか?
久松:子供の頃から絵を描くのは好きで。
それで高校から美術科のあるところに進学しました。
-高校の頃から画家を志していた?
久松:画家とまでは決めてはなかったですけど。
美術の方向で好きなことをやりたいとは中学生くらいで思っていましたね。
-絵を描きはじめた記憶で一番古いものっていつでしょう?
久松:保育園くらいのときから、外で遊ぶよりレゴとか
お絵かきをするのが好きなタイプの子供でした。
でも恥ずかしくて描いた絵は隠してましたけど。
-久松さんが一番影響を受けた芸術家っていらっしゃるんですか?
久松:高校生の時に好きだった画家で
福田平八郎っていう日本画家がいて。京都画壇の。
その人の展覧会が高校の頃に名古屋と京都であって観に行きました。
モダンですてきな絵なんですけど、印象深くて。
それがきっかけで「日本画コース」を選択しました。
-では岡本太郎を知るのっていつくらいのことですか?
久松:祖母が芸術好きだったので、よく展覧会とか一緒に行っていて。
それで子供のときに「岡本敏子さんっていう人がいるんだけど、
彼女は岡本太郎の養女なのよ」みたいな話を聞いて、それは印象に残っていて。
でもその後取り立てて関心を持って本を読んだり個展を見たりみたいなことは
まったくなかったですね。
-とすると急接近するのは「太郎賞」ですか?
久松:そうなんです。「太郎賞」は憧れていました。
でも岡本太郎の賞だからって憧れていたわけではなくて。
出品料もかからないし、大きさも形態も自由だし、
「イケてる賞」っていうイメージがあって大学生の頃に憧れて、
3回、応募しました。
-そして3回目で「敏子賞」を受賞されました。

久松:「入選しなかったけど、最終まで残りましたよ」という人に
「ぜひ来年も応募してください」みたいなメッセージが
落選通知に書いてあって、それを敏子賞をもらった前の年に送られてきて。
「悔しい!」と思って。「来年こそは!」と。
-どうですか?受賞から一年経って環境の変化はありましたか?
久松:そうですね。今、大学院生なんですけど休学しました。
今回のこの記念館もそうですけど、
思ってもみなかったところで展示させてもらう機会をいただいたりとかして、
それはもう時間をかけて向き合わないと、経験値もないので。
そういう変化はありましたね。
-いまは在住は山形ですよね?
久松:はい。東京に来るのは多くても月に1、2回とかですね。
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