そしてポン菓子機とともに展示されている絵についても話されました。
「日本昔話のような山盛りご飯で、
昔から続く普遍的な幸福を描きました」

「変わらない価値観ということを、
ぼくたちは考えながら生きていけたらいいなと」
「太郎さんは“殺すな”と書かれた。
我々は死を引き受けなければならない。
そこに名前とつけたくて“否とする”としました」
そしてお客様からの質問へ。
男性「わたしは52歳ですが、戦争は経験しておらず、
でもおじいさんは『ごはんのことしか考えなかった』そうです。
体験していないのにそこを想像するこの絶妙なバランスと、
『死を引け受ける』っていうことがすごい。
これはどうして考えついたんですか?」
Yotta「“戦争反対”ってイージーな言葉ですよね。
太郎さんの“殺すな”は“生きろ”ではないところがポイントで。
それのアンサーをぼくたちは考えなければいけないと思ったんです」

今回の展示名の「吉報の夜明け」についても触れました。
この名前はイスラム国のアプリと同じ名前と説明され、
自分たちにとっての「吉報の夜明け」とは何かを考えたとのこと。

この作品は《金時》同様にセンチュリーを使って、
車をピックアップトラックのように見立てて、
ポン菓子機を乗せてポン菓子を街で売ろうと思っているとのこと。
「ポリシーとして法律は守ります(笑)」

「車もポン菓子機も白く塗ります。
お米のように。
それでも兵器のようには見えてしまうと思いますね」
「全国、呼ばれればどこでもいきます」
そこで平野さんが質問を投げかけます。
平野「考えるときは全体像をつくるの?
それとも次第にできていくんですか?」
Yotta「最初はポン菓子しかなかったです。
そのパズルの破片をどう組み合わせていくかを考えています。
最初にポン菓子があって、
そこから大砲にしていこうとか、
色はどうしようとか考えていきます。
街にでたときには、どのような印象になるのかとか」
平野「最初にゴールがあるわけじゃないんですね。
それはつまり終わりはないということですか?」
Yotta「終わりもないですね。
《金時》もそうでしたけど、路上にでると想像をしないことが起きます。
だから作品に楽しませてもらってますね。
街にでるとやたらとアドバイスされますし(笑)」
平野「作品自体がプロセスだから、
普通の作家とそこが決定的に違うよね。
普通は美術館に入りたいけど、
君たちは路上に出たいわけだしね。
それって表現っていうか遊んでいるってことでしょ?」

Yotta「遊んでいるし・・・、
もらったお金でラーメン食べに行ったりして、
大切な生活でもある(笑)。
でもぼくらとしては音楽に似たものじゃないかと思っています」
平野「Yottaの作品は相手がいないと成立しない。
コミュニケーションそれ自体が作品なんですね」
Yotta「《花子》もそばに足湯があったんですけど、
そこにおばちゃんたちが入ってくれるんです。
で、次の日におばちゃん、サンダルでまたくるんですよ(笑)。
これって予想してもできないことなので、
これがぼくたちの成功だと思います。
あと焼き芋で路上にでると最下層のところに置かれて(笑)。
『まけろよ』とかっていわれたりして。
これは貴重な体験だな、と」
平野「焼き芋を買ってくれる人はアートだと思ってないよね?」
Yotta「思ってないですね(笑)。
でもたまに探ってくる人もいますね。
基本的には街の発明家みたいな存在ですかね。
『なかなかええこと考えたな』とかいわれて(笑)」
