平野:「これはいいですね。スイングしてる」
塙:「喜んでもらえると思いました」
平野:「オリジナルって言葉がでてきましたけど、みんな昔はスタンダードだったんです。でも70年代になると日本人のジャズは、自分のオリジナルだけをやるようになるんです。しかも一曲は10分以上ある。やっぱり自分のやりたいことをやるとそのくらいの時間になるんですよね」
塙:「そうですよね」

平野:「ところがいままた元に戻っているんですよ。全曲オリジナルのアルバムはつくらせてもらえないっていう話を聞きます。じかも時間も6~7分しかリスナーも耐えられないと。でもこれ、レコーディングだけじゃなくてライブもそうなんです。そういう状況があるらしい。店からオリジナルじゃなくてスタンダードのほうが喜んでくれるからって。でもぼくのレーベルは全曲オリジナルで、曲も10分以上でいいと。やりたいことやってくださいとそういう方針でやっているんですけど、でもそういうことさえ難しく、追い込まれているような時代なんですよね。ぼくもスタンダードは嫌いじゃないし、スタンダードで素晴らしい演奏をしている人もいる。でもミュージシャンの個性っていうと陳腐になっちゃうけど、音楽家として欲望や野心を吐き出すと、オリジナルであるべきだと思うんです」


塙:「でもいま海外で、30代とか40代の人は70年代の音ってスリリングなので、そういうのを感じている人は増えてきているんですけどね」
平野:「もしかしたら海外の人はそこに日本を感じてくれているんですかね。音楽に国は関係ないけど、一方で日本に生まれ育っているわけだから、優れたプレーヤーほど、出てしまう部分はあると思う。我々は気づかないけど、違う文化圏の人には日本を感じるのかもしれないですね。ぼくは本業の空間プロデュースをしているんだけど、あるプロジェクトをやるときに、海外で日本をどう伝えるかっていうそういうことをしたときに、ぼくが本当に尊敬する先生に教えを請いにいったことがあるんです。すごく悩んでいると。ぼくはなんとか日本人の心持ちとか美意識をわかりやすく伝えたいんだと。どういうアプローチで取り組めばいいかと聞きにいったら、その先生がいうには、平野:くんは考える必要なしと。きみがおもしろいと思ったことをやればいい。日本に暮らしている日本人なんだから、きみがおもしろいものをやれば、そこに日本を感じるんだって。ストレートにこれだと思うものをやればいいんだと。それがぼくはすごく残っていて、感激もして。それとおなじようなことが当時の日本人のジャズを聴いたときに外国の人は感じているのかもしれない」

塙:「わたしも同感です。フランスとかイタリア、南米などでやっぱり違いますし、日本のジャズも俯瞰してみれば、日本人だなって思いますね」
平野:「ということは、当時のプレーヤーたちは、高いオリジナリティを持っていたと思っているけど、他の個性を打ち出そうとしたわけではなくて、やりたいことをこれがおもしろいんだ、こういうことがいまの音なんだって正直にやっただけで、身体の中にアーカイブされていたものが外に吐き出されただけで、それが黒人のジャズとも違うものになったわけで、外国の人から見たら違うアイデンティティになったということなんですね」
塙:「そうだと思います」
