日本ジャズ界で人気・実力ともにナンバーワンの“ファーストコール・ピアニスト”、片倉真由子さんと、おなじくリーダーアルバムを8枚リリースするなど人気と実力を兼ね備えたトランペッター市原ひかりさん。今回はふたりの女性ジャズプレイヤーとの鼎談です。
第四回目は「リスナーからプレイヤーに」。
〈前回までは〉
①「ジャズはけっして“エリートのための音楽”ではありません。」
②「もう一度「カッコいい音楽」に戻っていくんじゃないかと思います。」
③「ジャズをもっとパブリックなものにしたいっていうか…」
「ジャズって。なにかを考える前に、自然のうちに目の前にあったんです。」
平野:ふたりはいまプレイヤーだけど、もちろん最初はリスナーだった。聴いたことのない人が、いきなり練習をはじめるはずがないもんね。
市原:はい。
平野:つまりリスナーからプレイヤーにジャンプした瞬間があったわけだ。
片倉:そうですね。
平野:たぶん中学・高校のころからジャズを聴いていたんだと思うけど、その年頃って、女の子だと、ふつうはジャニーズやヴィジュアル系ロックバンドなんかに行くわけでしょ?
市原:はい。
平野:ふたりとも親がジャズミュージシャンという特殊な環境で育っているので、一般の家庭とは事情がちがうけど、それにしてもなぜ女の子がジャニーズを通らずジャズに行ったわけ?
市原:わたし、ジャニーズにも行きました!
平野:あ、そうなの? なんだ、そうか…(笑)。
市原:光GENJIからはじまって……(笑)
片倉:わたしは行かなかったですね。
平野:ほら、行かなかった! 偉い!(笑)

片倉:えーと、ほんとはちょっとだけありましたけど(笑) ・・・でもその頃からずっとジャズが好きでした。
平野:なにが良かったのかなあ。なにしろぼくの若い頃、ジャズ喫茶に女性はひとりもいなかったからね。
市原:でも、プレイヤーはいたでしょう?
平野:いたかもしれないけど、数でいえば無視できるレベルだったと思うな。秋吉敏子さんみたいな象徴的な人はいたけどね。
市原:そうか…
平野:片倉さんはジャズ以外は耳に入ってこなかったの?
片倉:そういうわけじゃないです。もともとはクラシックピアノをやってましたし。でもやっぱり親の影響が大きかったですね。
平野:そうだろうね。
片倉:だって“そこにあるもの”でしたからね、ジャズって。なにかを考える前に、自然のうちに目の前にあったんです。
平野:うん。
片倉:そう考えると、みんなはすごいと思う。自分でジャズを探して、自分でジャズを見つけてやっているわけじゃないですか、なにかで出会ったりして。
平野:目の前に、自然のうちにジャズがありました、っていう人はほとんどいないだろうからね。
片倉:でも、わたしの場合は物心がついたときから“そこにあるもの”だったんです。母は練習してるいし、レコードはいっぱいあるし。
平野:お母さんもジャズピアニストだもんね。
片倉:サックス奏者の父もいっぱいコンサートをやっていて。だからもう、なんの疑いもなかったです。

平野:いつも聴かされていた子守歌を、いつの間にか自分も歌っていたっていう感じ?
片倉:そうですね。あと、親にやれって言われなかったんです。
市原:わかる。それは大きいよね。
平野:どういうこと?
片倉:もし強制されていたら、ここまで好きになっていたかどうか。
平野:そういうものなの?
片倉:わたし、高校生のときに「将来はジャズピアニストになりたい」って母に言ったんです。
平野:うん。
片倉:そうしたら、「わかった、わかった。じゃ、まあ頑張って」みたいに、どうでもいいって感じで返されて。でも大人になってその話をしたら、当時「しめた!」と思ったんですって。
平野:いい話だな。それにしてもジャズのどこが良かったんだろう。女の子のともだちでジャズを聴いてる子なんて、いなかったでしょ?
市原:いなかった。
片倉:わたしも。でも単純なことなんですよね。この音楽はなんでこんなに気持ちいいんだろうと思っただけで。
平野:気持ちよかったの?
片倉:気持ちいい。どうしてひとりでに身体が動くんだろう?って。
平野:幼児体験みたいなことが影響しているのかもしれないね。

市原:わたしの父は、その頃はジャズミュージシャンじゃなかったんです。
平野:あ、そうなの?
市原:わたしがジャズをはじめたのとおなじ頃にジャズドラマーになったんです。それまではポップスなどのスタジオミュージシャンだったので。
平野:へえ。
市原:いまは大野雄二さんのバンドで叩いたりしてますけど、当時はCMの音楽、映画の音楽、劇伴がほとんどで。
平野:そうだったんだ。
市原:だから“自分にとってのソウルミュージック”っていうことだと、真由子ちゃんはジャズ、わたしはもうちょっとAORとか…80年台前半の。
平野:AORって、ボビー・コールドウェルみたいな?
市原:そうそう! TOTOとか、そういうのが子守歌だったんです。
平野:それがどうしてジャズに?
市原:アドリブが取れるようになりたかったので、大学でジャズ科に入ったんです。そこで先生の原朋直さんを聴いて、ジャズにのめり込むようになった。なので、ジャズをはじめたのはすごく遅いんですよね。
平野:高校のときにもトランペット、吹いてたんでしょ?
市原:ブラスバンドでは吹いてましたけど、当時はジャズってビッグバンドのことだと思ってましたから。
平野:ああ、なるほど。

市原:それで大学に進んでみたら、もっとコアなところがあった、みたいな…
片倉:わたしもはじめたのはそうですよ。
平野:あ、そうなの?
片倉:高校生まではアドリブが取れなかったので。大学に入ってからですね。
平野:それまではクラシックをやってたんだよね。ジャズのコードとかは?
片倉:読めなかったです。大学でジャムセッションをやるんですけど、そのときにコードが弾けなくて・・・それが悔しくて、練習をはじめたんです。
市原:わかる! わたしもおなじ! 怖かったよね、セッションって。
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次回は「ルーツとコンプレックス」。

片倉真由子(かたくら まゆこ)
仙台市出身。洗足学園短期大学を首席で卒業後、バークリー音楽大学、ジュリアード音楽院に入学。ケニーバロンに師事。留学中より、ハンク・ジョーンズ、ドナルド・ハリソン、 カール・アレン、ベン・ウォルフ、エディ・ヘンダーソン、ビクター・ゴーインズ等と共演する。2006年、Mary Lou Williams Women In Jazz Piano Competitionで優勝、Thelonious Monk International Jazz Piano Competitionのセミファイナリストに選出される。2008年に帰国し、現在は自己のトリオをはじめ、山口真文、伊藤君子、竹内直、土岐英史、寺久保エレナ、レイモンド・マクモーリン、ジーン・ジャクソントリオ、北川潔トリオのグループなどで活動中。洗足学園音楽大学非常勤講師。
市原ひかり(いちはら ひかり)
1982年東京都生まれ。成蹊小中高等学校を卒業後、洗足音楽大学ジャズコースに入学。2005年主席で卒業。同年ポニーキャニオンよりデビューアルバム『一番の幸せ』をリリース。以降同社より8枚のリーダーアルバムをリリース。自己のグループの他、土岐英史(as)、秋山一将(gt)、増原巖(bs)、赤松敏弘(vb)等のグループに参加。活動範囲はジャズにとどまらず、山下達郎、竹内まりや等のアルバムにもソロプレイヤーとして参加している。
主な出演番組は、『トップランナー』『題名のない音楽会』『ミュージックフェア』『僕らの音楽』等。